いまだに謎多き「地下鉄サリン事件」
今回は「サリンの正体」が「有機リン系の殺虫剤」である可能性が高いことについて、地下鉄サリン事件の不可解な点を掘り下げて説明したいと思います。
地下鉄サリン事件は1995年3月20日に東京都で同時多発テロ事件。オウム真理教信者らが地下鉄に化学兵器サリンを散布した無差別テロと言われています。
それと同時に不可解な点が数多くある事件です。
そもそも、なぜ地下鉄でサリンを散布する必要があったのか。
なぜ、事件当時の証言とマスコミの報道の食い違いが多いのか。
なぜ、地下鉄サリン事件の裁判において、裁判長が「できるだけ速やかに、五年以内裁判を終わらせたい」と異例な発言をしたのか。
なぜ、地下鉄サリン事件の裁判の公判で提出された証拠はカラーコピーのみなのか。
なぜ、地下鉄サリン事件に製造・保管・運搬が極めて困難なサリンを選んだのか。他の神経ガスではいけない理由があったのか。
等々、言い出したら切りがないぐらい地下鉄サリン事件は謎の多い未解決な事件です。
地下鉄職員の死亡診断書「サリン中毒死=有機リン化合物による中毒死」
私がサリンに疑問を持ったのは、地下鉄サリン事件で亡くなった地下鉄職員の高橋一正さんの「死亡診断書」がキッカケです。死因が「有機リン化合物による中毒死」とあります。
参照リンク:高橋シズヱさんの手記|公安調査庁
神経ガス、農薬、殺虫剤は有機リン化合物です。
神経系・呼吸器系に対する毒性がある化合物が多いことから第二次世界大戦ごろから殺虫剤として農薬に使われている。「ホス(phos)」が付く農薬はたいてい有機リン剤である(ただしホスゲンは無関係)。また人への神経毒性が高い化合物も多いため、神経ガスとしてサリンなどが開発された。人の中毒症状としては縮瞳が特徴的である。
Wikipedia「有機リン化合物」
素手でサリンの容器を運ぶ地下鉄職員「高橋助役」
有機リン化合物による中毒で亡くなられた「高橋一正さん」は、地下鉄職員で助役を務めており、事件当時、千代田線車内にあった不審物である「長方形の箱」を素手で運んでいたという複数の目撃者の証言があります。しかし、これではオウム実行犯と検察の言い分と食い違います。犯行に使われたサリン容器はすべて「ナイロン・ポリエチレン袋」であると実行犯も検察も証言しているからです。
もし、検察の言い分通り犯行に使われたサリン容器が全てナイロン袋なら、高橋一正さんはサリンが入っていない箱を運んで、地下鉄サリン事件の最中に「有機リン化合物による中毒」で亡くなったという不可解なことになります。
「ガラス容器」から「ビニール袋」に変わる「サリン容器」の報道
また、サリン容器については新聞の報道も信頼できません。当初の報道ではサリン容器は「ガラス容器」だったのが、いつの間にか「ビニール袋」に。「6つの不審物」が最終的には「11個のビニール袋」に。というように新聞の報道がコロコロ変わっています。
参照リンク:報道されない地下鉄サリン事件の真相
ガラス容器を溶かしてしまう「サリン」
サリン容器の正体がうやむやにされるのは、ガラス容器にサリンは保管できないからです。
サリンは容易に分解され、ガラスを溶かす「フッ化水素」が発生します。
サリンまたはフッ化水素の容器としては、ポリエチレンやテフロンのボトルが使用されています。
サリンの性質
・常温では液体
・沸点147℃だが揮発性があり、気化しやすい
・化学的に不安定な物質
・熱分解しやすい
・光化学反応し分解される(光でサリンは分解される:半減期10日)
・水によく溶けるため、雨や雲により大気から除去される(無毒化)
・水で加水分解される
・加水分解されるとフッ化水素(HF)が生成される
つまり、サリンは空気中の水分、光と熱に反応し分解されて、ガラスを溶かす「フッ化水素」が発生するのでガラス容器ではサリンは運べません。
参照リンク
・サリン裁判対策協議会/サリン事件の詳細な実態、および事件の謎/サリン事件にまつわる各種資料/Sarinとは
サリンを素手で運ぶ「科捜研」
科捜研が証拠品となる「サリン」を運んでいる様子は、報道陣に撮影されています。
サリンは気化しやすく少量でも致命的な猛毒にも関わらず、ガスマスクや防護服を着けず「半袖」でサリンを運び出す科捜研。
・沸点147℃だが揮発性があり気化しやすい
・サリンは蒸気として肺、目、皮膚から吸収される
・初期症状として縮瞳・嘔吐・めまい等が現れ、失禁・意識低下・心肺停止等を起こして死亡する
また、科学捜査研究所係長としてサリンを検出した「服藤恵三」も、地下鉄サリン事件当時ノーマスクと素手でサリンを採取したと証言しています。
すこし長いですが上記のリンクから転載させていただきます。
「サリンの可能性は頭にあった。それでも驚がくした」。首都の地下鉄が化学テロに襲われた1995年3月20日。警視庁科学捜査研究所の薬毒物担当係長だった服藤恵三さん(57)=医学博士=は、まかれた液体からサリンを検出した。20年前、危険を感じながら急いだ鑑定作業を今も鮮明に覚えている。
あの日。普段通り東京・霞が関の科捜研に出勤し、白衣に着替えた。15分ほどするとサイレンが聞こえ、音は増え続けた。無線を聞きに行くと、「築地駅で多数が倒れている」。他の複数の駅も同じ状態らしい。緊急鑑定の準備を始めた。
午前9時5分ごろ、築地署の刑事が飛び込んできた。「車両の床から拭き取ってきました」。手には3重のポリ袋。薄い茶色か黄色の、湿った脱脂綿が入っていた。
現場の様子を「けいれんする人、泡吹く人、意識のない人がいた。共通して『暗い、暗い』と訴えています」と説明し、続けた。「実は私も暗いです」。刑事の瞳は針穴のように縮んでいた。
「有機リン系毒物だ」。屋上へ駆け上がった。手袋とマスクを忘れたことに気付いたが、「3分も惜しい」。風上を背に作業に取り掛かった。
1枚目の袋を解いて三角フラスコを入れ、ピンセットで脱脂綿を落とした。手に付かぬよう、袋の上からフラスコを持った。同34分、装置が分析結果を出した。
「サリン」
前年夏に長野県松本市でまかれたものだ。震えも脂汗も出なかったが、頭の中で「やはり」と「なぜ」が錯綜(さくそう)した。
数日後に特命を受けた。「オウム真理教の科学を解明してくれ」。押収した資料を読み込み、教団施設に足を運んでサリンやVXガスの製造工程を解明。禁止薬物や銃の密造も突き止めた。
「サリン」検出、今も鮮明=元警視庁科捜研、服藤さん-地下鉄テロから20年
いつ、誰が、どこで「凶器のサリン」を押収したのか記録がない
科捜研のサリン押収の写真が残っていますが、証拠品となる「サリン」がどのような手続きで押収され鑑定されたかが分かっていません。地下鉄サリン事件の裁判は、証拠品の隠蔽されたとしか思えない「極めて異例の裁判」です。
麻原彰晃の裁判は計8年に及び、公判は256回行われた。麻原には死刑の判決が下った。この麻原裁判の“正当性”については、ほとんどの国民が疑いを持ったことはないだろう。ところが麻原国選弁護人弁護団長の渡辺脩弁護士によると、終結した麻原裁判は「極めて異常な裁判だった」という。少し長いが、渡辺弁護士の著作から引用する。
「通常の捜査では、犯罪事件が発見されると、直ちに警察による『現場保存』が行われ、刑事たちの捜査に先立って、まず鑑識班が現場で証拠を探索・収集し、その段階で、『現場遺留物』などの証拠が押収される。
…その場合、必ず、押収に関する『差押調書』か『領置調書』が作成され、いつ、どこで、誰が、何を押収したのかが明確に記録され、その証拠物が鑑定に回される場合も、証拠物の移動に関する正確な記録が作られる。
…『地下鉄サリン事件』では、『現場遺留物』が地下鉄駅員から『任意提出』されたことになっているが、検察側は、それを受け取ったという警察の『領置調書』を一通も法廷に提出していない…。
そして、警視庁の鑑定担当者は、通常、鑑定に伴う証拠物の移動についてはきちんと記録が作られるが、『地下鉄サリン事件』では、その記録が作られなかったとはっきり証言している。したがって、五つの犯行現場から遺留された『毒物』が適法に押収されて警察の手に収まり、その遺留物に対する鑑定が間違いなく行われたという一連の手続き過程…も証明されていないのである。…これは、通常の犯罪捜査と刑事裁判では、絶対と言ってよいほど、発生しえない異常な事態である。…『地下鉄サリン事件』における底なしの異常性が認められる。」(渡辺脩、『麻原を死刑にして、それで済むのか?』、三五館、2004年、69~71頁)
つまり麻原裁判では、毒物で凶器とされるサリンが現場から本当に押収され、科学的に鑑定されてサリンと確定したのかどうかがはっきりしていないというのである。サリンという気体だと分かりにくいが、拳銃に当てはめてみるとはっきりする。仮に麻原が拳銃を所有していたとして、その拳銃が現場から押収されたものなのか、凶器となった銃弾が麻原の拳銃から発射されたものなのかが判然としないというのである。これで本当に正当な裁判が行われたといえるだろうか? 弁護団長によれば、麻原裁判の全体像はこのようなものだったというのである。
引用元:オウム・サリン事件は日本の軍産複合体が仕組んだ謀略事件か
参考リンク
また、サリンが鑑定されたのは事件が起きてから2ヶ月後の5月と不自然に遅いです。
そして裁判に提出された証拠は「写真のカラーコピーのみ」
「白煙を生じないサリン」と「白煙を見た数々の証言」
地下鉄の現場では、電車内で白煙が立ち込めたという多数の証言。
サリンは白い煙は発生しない。
サリンなら無いはずの刺激臭があったり、白い煙が出たり、植物が枯れたりしたからである。純粋のサリンが植物を枯らすことはなく、白い煙も出ない。
参照リンク:サリン事件への問題提起 サリン事件は、一般に信じられているような、「単純な事件」ではない!●第2章 松本サリン事件について
「フッ化水素」はアンモニアが反応し「白煙」を生じる。
ただ、サリンの除染作業に塩基性水溶液が用いられるため、塩基性のアンモニアがあるとサリンが分解されてしまうため、やはり白煙の原因は「サリン」だけでは説明がつかないです。
サリンと同じ「有機リン中毒」を引き起こす「殺虫剤」
「サリン」は「有機リン化合物」です。
サリン(ドイツ語: Sarin)は、有機リン化合物で神経ガスの一種。
参照元:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AA%E3%83%B3
「サリン」は、シナプスから出るアセチルコリンの分解を阻害する神経ガスです。
アセチルコリンが分解されず、神経末端のアセチルコリンの濃度が上昇すると、副交感神経が過剰に働いてしまい、以下のような症状が現れます。
縮瞳、嘔吐、腹痛、下痢、嘔気、発汗、倦怠感、頭痛、めまい、呼吸困難、脱力感
サリンはアセチルコリンの分解を阻害し、副交感神経を過剰に働かせる神経ガスです。
もっと正確に言うと、「サリン」はアセチルコリンを分解をする酵素「アセチルコリンエステラーゼ」の働きを阻害し、副交感神経を過剰に働かせます。
このように「アセチルコリンエステラーゼ」の働きを阻害する薬剤は「アセチルコリンエステラーゼ阻害剤」と呼ばれます。
サリンも農薬も殺虫剤も「アセチルコリンエステラーゼ阻害剤」です。
参照リンク
しかも、サリンも農薬も殺虫剤も「有機リン系化合物」で「有機リン中毒」になります。
「有機リン中毒」の「解毒剤」である「プラリドキシムヨウ化メチル」と「アトロピン」は、「サリン」の「解毒剤」でもあります。
プラリドキシムヨウ化メチル(pralidoxime iodide)は、有機リン剤中毒の特異的な解毒剤である。
(略)
サリンやVXガスの解毒剤として知られているが、本来想定していた用途は、有機リン系の農薬中毒に対してであった。しかし、サリンなどの神経ガスも有機リン剤の一種であるため、効果を発揮する。1995年の地下鉄サリン事件では、日本各地のPAM(註:解毒剤プラリドキシムヨウ化メチルの商品名がPAM)を新幹線で集め、600人以上の被害者の命を救ったことで、一躍有名となった。
また、アトロピンも有機リン剤中毒等の治療にも用いられ、地下鉄サリン事件での治療にも用いられた。 アメリカ軍では神経ガスに暴露してしまった時にアトロピンを打つ事が規定されており、「各BC兵器のタイプ別の症状をイラスト化した」簡易マニュアルが配布されている。
引用元:Wikipedia「有機リン化合物」
そして地下鉄サリン事件で目撃された立ち込める「白煙」も「殺虫剤」なら説明がつきます。
バルサンのような白煙を出す殺虫剤を地下鉄に散布したら「サリン」と同じ「有機リン化合物による中毒」を引き起こせます。ブログ冒頭で述べた「地下鉄職員の高橋一正さんの死因」が「有機リン化合物による中毒死」とも辻褄が合います。
うじ殺しバルサンS(医薬品) – オルトジクロロベンゼン、クレゾールに2種の有機リン系殺虫剤(ダイアジノン、ジクロルボス)を配合。ウジ、ボウフラの他ハエ成虫、蚊成虫にも効果がある。必ずうすめて使用。
引用元:Wikipedia「バルサン」
また、地下鉄サリン事件は白煙を生じたことから消防に「爆発火災」と一報が入っています。
被害の第一報については、
「私どもの病院へは8時16分に消防署から第1報が入っております。…『地下鉄小伝馬町駅と築地駅で爆発火災が発生した』」(聖路加国際病院副看護部長吉井良子の講演/日本病院会雑誌1996年7月号)
引用元:サリン事件への問題提起 サリン事件は、一般に信じられているような、「単
純な事件」ではない!
バルサンの白煙は火災と勘違いされることもあり、またバルサンの煙は火災報知器に反応します。
「サリン」の生みの親は、ナチスの殺虫剤の開発者
「サリン」は殺虫剤開発を専門としていたナチスドイツの科学者「ゲルハルト・シュラーダー」によって開発されました。
ゲルハルト・シュラーダー(Gerhard Schrader, 1903年2月25日 – 1990年4月10日)はドイツの有機化学者である。新しい殺虫剤の開発を専門としていた。
彼自身は殺虫剤によって害虫が根絶され、食料生産が増えることで世界から飢えがなくなることを望んでいたが、実際にはサリンのような神経ガスの発明者としての面が著名である。このため、彼は「神経ガスの父」と呼ばれている。
引用元:Wikipedia「ゲルハルト・シュラーダー」
ソ連崩壊による自衛隊不要論を崩した科学兵器「サリン」
サリンを合成するには、極めて高度な化学知識と特殊な工場が必要です。
毒ガス・サリンを製造するプラントが非常に特殊なもので、かつ高度の化学知識が必要なことを考えると、果たして滝沢にプラントの設計ができたのだろうか。
「…メーカーに合成装置の設計要求を伝え、メーカー側にフローチャートを書かせ、打ち合わせ、その上で特注しなければ、厳重な機密性とプラチナの内張りをもった合成装置の購入は、できなかったはずである。さらに、合成プラントを購入し据え付けたあと、サリン合成のためのコンピュータ制御プログラムを、装置に入力しなければならない。…装置の設計から、特別オーダー、据え付け、プログラミング入力、試運転にいたる全過程に、『陰のコーチ役』がいたのではないか?」(『黒い霧』、56頁)
引用元:オウム・サリン事件は日本の軍産複合体が仕組んだ謀略事件か
オウムの組織に、そこまでの高度な科学技術と資金調達ができたかは怪しいです。
そんなことをするより、殺虫剤の濃度を濃くして散布した方が効果が見込めます。
それでも、なぜ「サリン」にこだわったのか?
それは当時、1991年12月にソ連が崩壊して、自衛隊の存在意義がなくなっていたからです。
自衛隊の存在意義を取り戻すために、化学兵器「サリン」による「テロ」が日本にとっては不可欠でした。
地下鉄サリン事件が軍産複合体による自作自演だった可能性を示唆するブログがあります。そちらのブログより以下転載させていただきます。
自衛隊や軍需産業などからなる日本版軍産複合体は今、冷戦「崩壊」により仮想敵国を失い、軍拡の口実を失っている。世界は軍縮の時代にあり、日本でも自衛隊を縮小せよとの意見は日増しに大きくなっている。こうした世論を踏まえて防衛懇の答申は、自衛隊の任務を、「侵略への対処」から「テロなど多様な危険への対処」にすり替えたわけである。
しかしこのすりかえには一つ重大な問題がある。それは、「日本は今まで、およそテロとは無縁な国だった」ということである。昨94年の6月27日に松本サリン事件が発生するまでは…。
ここで以下の日付を確認してみる。
・1994年6月27日 松本サリン事件発生
・ 8月12日 防衛懇の答申
・1995年3月20日 地下鉄サリン事件発生
・ 5月24日 防衛庁、新「防衛計画の大綱(案)」発表
もし松本サリン事件以前に防衛懇の答申が出ていたら、それはテロと無縁な日本で自衛隊の主任務を「テロなど多様な危険への対処」に置く、およそナンセンスな答申になっていただろう。しかし「答申」と「大綱(案)」は、二つの無差別大量テロ事件のほぼ2か月後に、実にタイミングよく出されている。もちろんこれは単なる偶然かもしれない。しかし次の二つのことは言えるだろう。一つは、松本サリン事件と地下鉄サリン事件が発生したことで、日本はまさに防衛懇の答申が“予言”したように、無差別大量テロが横行する時代に突入してしまったらしいことである。
もう一つは、サリンで汚染された地下鉄車内を洗浄する自衛隊員の映像、自衛隊から貸与された防毒マスクと迷彩服に身を包んだ機動隊員の映像、オウムが購入したロシア製軍用ヘリの映像などがテレビで大々的に放映されるに及んで、オウムのようなテロ組織の鎮圧は警察力の能力を超えており、自衛隊の強化が不可欠だという意識が国民の間に刷り込まれたことである。
引用元:オウム・サリン事件は日本の軍産複合体が仕組んだ謀略事件か
1995年3月20日に起きた地下鉄サリン事件の目的は、「テロ対策」と言う名の自衛隊存続・拡大のためです。地下鉄サリン事件によって、国民はサリンの恐怖と自衛隊の必要性を刷り込まれていきました。
地下鉄サリン事件の黒幕は『創価』
地下鉄サリン事件の黒幕は創価学会です。
地下鉄サリン事件に対する創価学会の不可解な動きも、黒幕が創価なら筋が通ります。
オウム事件でオウム信者の軍隊舞台は創価学会員として同時に登録された学会員名簿にある人物だったのです。
引用元:オウム事件と創価学会のつながり、関係
オウムと創価はズブズブな関係です。
ここまで来ると「オウム=創価」と言っても良いでしょう。
また1993年の松本サリン事件より前に、池田大作サリン襲撃未遂事件がありました。池田大作が創価大学の演奏会に出席する情報を掴んだオウムが池田の暗殺を実行しようとし、失敗に終わった事件です。ですが、不思議なことに創価学会はこの事件の被害届を出しませんでした。この池田大作サリン襲撃未遂事件は、1995年地下鉄サリン事件の裁判の容疑者が自供するまで明るみに出ませんでした。
https://ja.wikipedia.org/wiki/池田大作サリン襲撃未遂事件
オウムには少なくても27人の元創価学会員がいました。しかも、地下鉄サリン事件後に元創価学会員の多くはオウムから姿を消しました。この消えた創価学会員が調査されなかったのは、警察もマスコミも創価だからです。
また、創価とオウムと統一教会も繋がります。
そして自衛隊も創価学会によって支配されています。
地下鉄サリン事件の黒幕は「創価学会」です。
地下鉄サリン事件は「創価学会」による「自作自演」です。
狙いは自衛隊の存続とテロ対策です。
最後に
1995年の「地下鉄サリン事件」の黒幕が「創価」でしたが、
2020年の「コロナパンデミック 」を仕掛けた犯人も「創価」です。
以下の記事と動画を是非ご視聴下さい。
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